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直し屋 石井です
越中詩郎選手へ
平成維震軍
この平成維震軍を今回書いたのは
人気がある とか
強い とか
影響力がある とか
そう言う訳ではありません
越中詩郎選手がユニットの
トップですから
平成維震軍とは
中堅とベテランの
では、彼らの何がすごかったのか?
nwo
リキプロ
(長州力の運営する組織)
無我
(藤波、西村で始めた組織)
等、いわゆる
「セルフ興行」
を行ったユニットの先駆けなんです
平成の新日本プロレス全盛期には
多くの選手を抱えます
現在は若手でもデビューしていれば
試合は組まれますが
当時は選手が多すぎて
新人だけでなく中堅までもが
試合が組まれない日もありました
そうなると反発する選手会と会社は
衝突します
それを回避させたのが苦肉にも
反選手会同盟=平成維震軍
だった訳です
若手の底上げ
普段は組めないカード
他団体との交流
独自路線
最近は当たり前となった団体の
「別ブランド」
平成維震軍はそのパイオニアなんです
しかも、彼らの自主興行は
会計まで自分達で行う独立型
ただのプロレスラーではないんです
スポンサーを探せるプロレスラーだったんです
UWFとの対抗戦や
nwoの出現
団体的に本体とぶつける意味が無くなると
メインイベントに組まれる事もなくなり
1999年に平成維震軍は解散します
最後に越中詩郎選手を語らせていただきます
元は全日本の選手で三沢さんと同期でした
三沢さんよりも当時、越中選手の方が
強かった
なのに会社は三沢さんにエースを託すべく
2代目タイガーマスクの座を渡します
2人で行った海外遠征
「タイガーマスクになって日本のリングに
帰って来い」
馬場さんに言われ三沢さんは日本に帰ります
越中選手はと言うと・・・・
三沢さんのボディガードだったんです
当時のジュニアエースにはひどい扱いですよね
そして全日本から新日本へ移籍します
これにより馬場さんは激怒
この時、馬場さんとの間をもったのが
当時のトップ 天龍源一郎
いいアニキです
最近、分かった事なのですが
越中選手に戦力外通知を出したのは
馬場さんではなく
影の社長 奥さんの元子さん
だったそうです
馬場さんが亡くなり元子体制となった
全日本は川田、渕、ケアだけ残留
三沢さんが役員、選手を引き抜き
「プロレスリング NOAH」
を旗揚げします
元子さんの傲慢政治は武藤敬二の全日本移籍で
社長を譲ると緩和されますが
今も影の社長は続いてると思われます
越中選手に話は戻ります
その天龍選手とは平成維震軍で激突
互いの団体を盛り上げれたのは
今ではハッスルではタッグを組んでます
「アニキ無くして自分なし」
越中さんのアニキが天龍さんならば
石井のアニキは藤原さんです